お彼岸

しばらく、ご無沙汰していて申し訳ない。

相変わらず、Jaluxの梱包・発送に追われているのと、今日の法話の準備で心の余裕がなかったのである。

お彼岸の日に、本山誠照寺法話をすることになった。大変名誉なことだが、法話というのは講演と違って難しい。お彼岸なので、お彼岸について話すことにした。


春分秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのがお彼岸の始まりである

阿弥陀経では、西方の遙か彼方(十万億仏土)に極楽浄土があると説かれている。、また、観無量寿経では、息子の阿闍世(あじゃせ)に幽閉され、悩み苦しむ韋提希(いだいけ)夫人に向かって、お釈迦様は、太陽が西の空に沈みゆく映像を頭の中に焼き付け、極楽世界のありさまや阿弥陀仏の姿やその徳などを思い描き、自分が極楽浄土に往生しているありさまを思い描くように説かれている。

というようなところから始めて、此岸(しがん)、つまりこの世、から彼岸(極楽浄土、あの世)にどうやって行くかという話をした。僕自身も彼岸には行ったことがないので、どれだけ分かっていただけたかは分からない。

法話は難しい。