相次ぐ知事の逮捕(その3)

明日は知事の独裁的権力について書くと言っておきながら、文字通り、師走の忙しさに追われて、大晦日を迎えることになってしまった。この間、知事の独裁的権力を抑制するための社会的な動きがいくつか見られた。今年を総括する意味で知事の独裁的権力について書きたい。

まず、現在、地方社会で知事が独裁的な権力持っていることが事実であるという前提の下に、なぜ、知事が独裁的な権力を持てるのかについて。

これにはコインの裏表のような2つの要因がある。現在の日本の政治経済の仕組みは、簡単に言うと、東京にお金を稼げる人が集まって、そこで稼いだお金を地方にばら撒くというものである。ばらまく手段は、公共事業の発注や地方交付税の交付である。

知事が大きな権力を持ちうるのは、第一に、東京から地方にばら撒かれるお金を地方の中で配分する権限を持っているからである。具体的には、数千億円から数兆円にのぼる都道府県の予算を決める権限がある。また、公共事業の談合に関与する知事の不祥事が相次ぐのは、多くの知事が何らかの形で公共事業を落札する事業者の決定に関わっているからであろう。

第二に、東京を除くほとんどの地方経済が、こうして東京からばら撒かれるお金に大きく依存しているという事情がある。知事がお金を配分する権限を持っていても、こうしたお金に地方企業が依存していなければ、知事の権限は制限される。しかし、大半の地方企業が県庁や市役所が発注する仕事に依存している状況の中で、「仕事を回さないぞ」と脅されれば、おとなしく知事に従わざるを得ないのが現状である。

では、次に、知事が独裁的権力を持つことがなぜ良くないのかについて。

汚職や税金の無駄遣いにつながるなど、色々、考えられるが、最大の問題は、知事の顔色を常に気にしていなければ生きていけない土地には、能力があってやる気のある人間が集まらないということであろう。

経済のグローバル化の中で、格差問題が深刻な問題になりつつある。グローバル経済の中で地方経済が自立するためには、東京からの仕送りに依存しなくてもやっていける知識経済に転換する必要があるが、そのための鍵はどれだけ優秀な知識ワーカーを集めることができるかである。
知識ワーカーを集めるために必要なのは、快適な居住環境と自由な発想と行動が保障される政治・経済空間である。表向きは、「出る杭を伸ばす」と言っておきながら、その実、上の意向に沿わない「出る杭」は徹底的に排撃されるような陰湿な政治・経済空間はもっとも嫌われる。

知事がどんなに産業振興に努めても、知事の独裁的な権力行使がまかり通る地方はグローバル経済の中で衰退していくであろう。

最後に、知事の独裁的権力を制限するための政策提言である。

まず、考えられるのは任期制限である。「権力は腐敗する。絶対権力は絶対、腐敗する」と言われるが、ただでさえ、独裁的権力を持つ知事が任期を重ねていけば絶対権力を持つようになり、そこでは、絶対、腐敗が起きる。こうした権力の腐敗を防ぐために、アメリカでは憲法で大統領の三選が禁じられている。相次ぐ知事の不祥事を見ると、日本においても法律による知事の任期制限を導入するのも一案である。

ちなみに、僕が熊本県庁出向時代に仕えた細川護煕熊本県知事(のちに首相)は「権腐10年」(10年権力の座にいると腐敗する)と言って二期でさっさと辞めてしまった。また、最近の例では、鳥取県の片山義博知事が三選不出馬を表明した。こうした事例が広がっていけば、法律による任期制限をあえて導入しなくても、「知事の任期は最大三期まで」といのが当たり前になるかも知れない。

次は公共事業をめぐる入札制度の改革である。もっとも、この問題については、もうすでに、ほとんど結論が出てしまっている。官製談合につながりやすい指名競争入札を全廃し、一般競争入札に全面的に移行することである。福井市はすでに全面的な電子入札の導入に踏み切り、談合防止に大きな効果を挙げている。

予定価格に対する落札価格の比率を「落札率」と言い、一般的には落札率が高ければ高いほど、談合が行われている疑いが強くなる。国土交通省の調査によると、都道府県で2005年度の平均落札率が最も高かったのは、官製談合が明らかになった宮崎県の96.6%であり、福井県の平均落札率は96.5%で2位の高さである。最近になって急遽、作られた入札改革委員会が福井県庁に一般競争入札の導入を提言しているが、もっと早く改革に取り組むべきであった。

最後に、これはまだ誰も表立って口に出していないことであるが、知事ならびに県庁職員の公職選挙法の遵守と捜査当局による取り締まり強化を提言したい。

僕が日本で政治活動を8年間行って最も驚き、かつ、呆れたのは、知事ならびに県庁職員が公権力を濫用して知事選挙を行うばかりか、県下で行われる首長選挙に平然と介入することである。また、「明確な証拠がない」という口実の下に半ば「公然の秘密」化しているこうした慣行を拱手傍観している捜査当局ならびに報道機関の姿勢にも驚かされる。

地方において独裁的な権力を持つ知事ならびに県庁職員が公権力を行使して選挙に介入すれば選挙結果に大きな影響を与えるのは当然である。また、この弊害も明らかである。民意が歪められるばかりか、住民の政治不信を助長する。さらに、公正にルールが守られない政界には、新規参入する人間がいなくなり、政界そのものの衰退を招く。

発展途上国で初めて民主化のための選挙が行われる場合、権力側による選挙妨害を防ぐために、国連が選挙監視団を派遣することがある。本来、県警本部が公職選挙法違反を取り締まるべきであるが、8年間政治活動を行ってきた経験では、挑戦者に厳しく、権力側に甘すぎる。捜査当局に期待するのはあきらめて、恥を忍んで、国連に選挙監視団の派遣を要請すべきかもしれない。