最近の労働市場

 現在、働いている会社でポストの空きができたので、この1ヶ月間、人材の採用に携わっていた。この間、色々、感じたことがあるので、簡単にご紹介したい。
 まず、第一に、労働市場が流動化しているということである。人材紹介会社から次から次に人材を紹介されて、世の中にはこれほど転職を希望している人が多いのかと驚いた。
 第二に、日本の大企業は「規格品」を好むということである。日本の大企業は、基本的に、大学に入るまでは2浪まで、在学中は1留までの新卒しか採用しない。ところが、現実には、様々な事情でこうした規格から外れてしまった「規格外」の人たちがいる。こうした規格外の人たちは、往々にして、進取の気性に富んだ個性的な人たちである。知識社会では、むしろ、こうした「規格外」の人たちの方が能力を発揮するような気がするのだが、ほとんどの大企業では、こうした人たちを「規格外」というだけの理由で、採用しないか、採用しても傍流に追いやってしまう。グローバル化が進む中で、企業は知識社会モデルへの転換を求められているにもかかわらず、その人事政策は、相も変わらず、「規格品」ばかり揃えたがる工業社会モデルだということである。
 第三に、若者のブランド離れが進んでいるということである。転職を希望している人たちの多くが一流企業に在籍している。一流企業にいるにもかかわらず、転職を希望している。それはなぜかと言えば、その職場にいても自分があまり成長しないと感じているからだ。言い換えれば、仕事に対する若者の意識が、これまでの「就社」から「就職」に変わりつつある。「名」よりも「実」を取る方向に変わりつつあると言っても良いかも知れない。名のある大企業にいても自分が成長しないと思ったら、さっさと転職するのが最近の若者の気質のようである。
 要するに、雇う側は「規格品」を求めているが、雇われる側は「規格品」はごめんだと言っているのである。つまり、雇う側と雇われる側のミスマッチが起きているから、転職を希望する人が多いのであろう。
 最近の教職員の採用をめぐる不祥事を見ても、もったいない話だと思う。人材がいないのではなく、そこに優れた人材がいるにもかかわらず、採用側の視野の狭量さが原因で採用すべき人材を採用することができない。公正な人事が行われない組織からは、いずれ、採用された優秀な人材も去っていくであろう。
 本来採用されるべきなのに採用されなかった人はお気の毒であるが、視野を広げれば、自分を生かす場所はいくらでもある。むしろ、どうせ自分を生かせない腐った職場に行かずにすんで幸運だったと思えば良いのではないだろうか。