北京オリンピックの終幕

 暑い夏とともに北京オリンピックが終わった。中国政府にとっては、大成功だっただろう。中国政府が北京オリンピックを通じて世界に伝えたかったメッセージは、「中華帝国復活」ということではなかっただろうか。

 なかでも、チャン・イーモウ監督が演出した開会式は圧巻だった。1万人を超える人間を繰り出したマスゲームは、あえて大量動員することにより、13億を超える人口を擁する中国の底力を感じさせた。大量動員するだけなら北朝鮮と変わらないが、そこにハイテクの演出を加えているので、古代の中華帝国がハイテク武装して、「ハイブリッド中華帝国」として甦ったというメッセージが強烈に伝わってくる。

 反中派として知られる石原・東京都知事が開会式に出席して、「13億の人口のすごさってのはね、ひしひしと感じましたね」「一番感じたのはね、ボランティアの大学生ですね。いろいろ(政治)体制に対する批判はあるでしょうけど、私もいろいろ異論はあるけども、国家社会の前途にね、あの世代の若者が明らかに日本の大学生と違って期待を持っているということに、青春の生き甲斐を感じているということは、聞いてみてもうらやましく感じましたね」などとコメントしている。まさに、勝負あったという感じである。

 北京オリンピックは、「世界が中国を知り、中国が世界を知る」出来事であった。日本国民もようやく、甦った中国を知ったのではないか。と同時に、日本が世界の中で急速に存在感を失いつつある現実も認識したことだろう。

 今後、予想されるのは、失った日本の国際的地位を高めるにはどうしたら良いかという議論である。その際に必ず出てくるのは、2016年の東京オリンピックの招致であり、そのための東京の強化策である。すでに、本日付の日経は、東京五輪への挑戦は、東京をニューヨーク、ロンドン並みの国際金融センターにすることだと論じている。

 つまり、いわゆる上げ潮派(=経済成長派、構造改革派)は、東京をショーケースとした経済成長路線、構造改革路線を推進しようとするだろう。これに対抗するのは、経済格差・地方格差を是正しようとする修正主義路線である。

 昨年夏の参議院選挙における民主党の大勝以来、日本の政局は修正主義路線を基調として動いているが、北京オリンピックを契機として、潮目が変わるのではないかというのが私の見立てである。幕末の攘夷論者も、彼我の圧倒的な力の差を痛感して、開国論者に転じた。

 いまや、縮小するパイの取り合いをしている場合ではない。まずは、稼げる人間に徹底的に稼がせて、パイを大きくするのが先決という路線に振れるような気がする。