新しい「この国のかたち」
長い間、ご無沙汰していて申し訳ない。
仕事が忙しかったせいもあるが、日本の政治というか、日本社会全般に失望していて、正直言って、あまり書く気になれなかった。
この間、色々なことがあった。あり過ぎて、どう整理したらいいか分からないというのが、大半の人の感じではないだろうか。
この辺をうまくついているのが、村上春樹の「1Q84」である。
自分がおかしくなっているのか、世の中がおかしくなっているのか、とにかく、自分が生きざるを得ない世界はこれまでの世界とはまったく異なる理解のできない世界であるという漠然とした違和感をうまく表現している。
世の中が混沌としている。
これまでのモノサシが当てはまらなくなっている。
衆議院が解散されて、投票日まで各政党が日本の状況をそれぞれの視点で「見える化」する競争が始まる。
民主党は、「政権交代」か否かという切り口で「見える化」しようとしている。
自民党は、「責任政党」か否かという切り口で「見える化」しようとしている。
村上春樹は、「何だか訳の分からない世界が突然、現れた」という形で、世界を「見える化」した。どんな世界かは語っていない。「リトルピープルが牛耳る世界」という巧妙な逃げ方である。ちょっとずるい。
「政権交代」にしても、「責任政党」にしても、選挙向けには有効な切り口であるが、どんな日本にしたいかは見えてこない。
頭の中を整理するために、どんな日本にするのか、あるいは、なっていくのか僕なりに書いてみよう。
まず、グローバリゼーションにどう対処するのかということ。
これは結論が出ている。もはや、国を閉じることはできない。
ただし、方法が異なる。
これまでは、先進国相手にもっぱら高級品を売る戦略だった。ところが、先進国のバブルが弾けて、これまでのように高級品は売れない。
これからは中国やインドなどの新興国向けにローテクの商品を売る時代である。高スペックのものはいらない。余計なスペックは削ぎ落としたローテクの製品をいかに安く提供するかという競争になる。
産業界はすでにシフトしつつあるが、ハイテクである必要がないのだから、地方の中小零細企業にもチャンスがある。とにかく早く出ていくことだ。
次に、知識社会にどう対応するかということ。
これも結論が出ている。知識化を進めるしかない。
僕自身、この1年半、相当苦労した。予想以上にネット社会が進んでいて、戸惑うことが多かった。勝間和代さんの本が売れるのは、ネット社会における知識ワーカーの働き方を分かりやすく解説しているからだ。デジタルデバイドと言われるが、デジタルデバイドには2段階あるような気がする。第一段階はキーボードを使えるかどうかというもの。僕はこれはクリアしていた。第二段階はインターネットを使いこなせるかどうかというもの。このハードルは大きい。かなり慣れてきたものの、物心ついたときからインターネットがあった世代とはまだ相当ギャップがある。
ただし、これは情報の集め方の問題であって、考え方の問題ではない。インターネットで検索ばかりしていると、コピペばかりして自分の頭で考えられなくなる。
この2つのスキルをバランスよく教えていくことが、これからの教育の課題である。
こう書くとすぐに政策論を求められそうなので書いておくと、小中高レベルでは思考力の基礎となる「読み、書き、ソロバン」をこれまで通り愚直にやれば良いと思う。
まだまだ、書くことはあるが、今日はこのくらいにしておこう。