日米関係について

 ご無沙汰していて申し訳ない。
 普天間基地移設の問題やオバマ米大統領の訪日などで、日米関係について色々と議論が喧しくなっているので、日米関係についての考え方を整理しておきたい。
 まず、鳩山政権の「対等な日米関係」という目標だが、「対等な日米関係」を目標に掲げるところに、「分かっていないなぁ」と思ってしまう。なぜならば、日米関係は本質的に対等でないからだ。
 もっとも、どう対等でないかという点にパーセプションギャップがある。鳩山政権のスタンスは、日本はこれまで対米追従で、日米関係はどちらかと言えば米国に都合のいいものだというものである。しかし、実際は、日米関係は本質的に日本にとって都合のいい、言い換えれば、一方的に日本に有利な関係なのである。
 もとより、日米関係の本質は軍事同盟である。かつて、鈴木善幸総理が「日米関係は軍事同盟ではない」と発言して、政権崩壊のきっかけを作ったことがあるくらいだから、政治家の間でも日米関係が軍事同盟であるという認識は薄い。しかし、日米関係の本質は軍事同盟であり、この基本的な出発点を忘れると、議論がどんどん変な方向に行ってしまう。
 では、どういう軍事同盟なのかというと、日本が攻撃された場合は、米国は日本を守る義務があるが、米国が攻撃されても日本は米国を守らなくても良いという、日本にとって極めて都合の良い軍事同盟なのである。
 人間関係でも、商売でも、国と国との関係でも、どちらかに一方的に都合の良い関係は長続きしない。この点を心配した岸信介総理が日米安保条約をそれまでの片務的なものから、より双務的なものに変えたのが、1960年の日米安保改定である。といっても、戦争を放棄した憲法9条の問題があるから、「米国が攻撃された場合に、日本は米国を守ります」とまでは踏み込めない。その代わりに、日本国内に米軍基地を置いても良いですよ、その負担も日本が負いますよ、としたのである。
 鳩山総理は日米安保50周年を契機に日米関係を検証するとしている。日米関係を本当に対等にしようと思うのならば、米国が攻撃された場合には、日本も米国を守る義務を負うことにするか、日本が攻撃されても米国は日本は守らなくても良い、つまり、同盟関係を解消するということになる。
 集団的自衛権を否定している鳩山総理の立場からは、米国が攻撃された場合に、日本が米国を守る義務を負うという選択肢はあり得ない。そうすると、日本が攻撃されても、米国は日本は守らなくても良いですよ、ということになるのだろうか。冷戦が終わり、米ソ対立による世界戦争の脅威は激減したが、北朝鮮による核武装や中国の軍事力拡大などの脅威は依然として残る。こうした脅威に、日本はこれまでのように日米軍事同盟ではなく、独力で対抗しようとするのだろうか。
 いや、日中間で軍事同盟を結ぶということになれば、対米追従が対中追従に変わるだけの話である。しかも、中国が攻撃された場合に、日本が中国を守らなくてもすむような都合の良い軍事同盟を結べる保証はない。仮りに結べたとすれば、その場合は、日本は中国の属国のような存在になるだろう。果たして、そのような日中関係に日本国民は耐えられるだろうか。
 日米関係を考える場合は、日米関係は本質的に日本にとって極めて有利な軍事同盟であるということを忘れてはならない。