「脱原発」か「原発維持」かという神学論争

管首相がついに「脱原発」を打ち出した。もっと議論を尽くすべきだと新聞などで批判されているが、「脱原発」か「原発維持」かという論争は、いわば、どの神に仕えるかという神学論争なので、ボトムアップ式の議論にはなじまない。どちらの神にするかは、最終的には、民意に委ねるしかない。その意味では、「脱原発」解散は正しい政治的判断だし、いまの日本社会にとって必要なものだと思う。また、今のタイミングを外しては、日本社会全体としての選択はできない。「脱原発」により産業空洞化が進むと批判されているが、いずれにせよ、新興国の経済成長に押されて、産業空洞化は進む。今回の震災と原発事故はそのタイミングを早めたに過ぎない。したがって、今後、かなりの産業空洞化が進むことを覚悟したうえで、日本経済および社会全体の「スマート化」を早急に進めるべきだ。ある意味では、非合理な政治的な圧力がかからないと、日本社会は大きく変われない。黒船や敗戦もそのような外圧だった。今回の震災と原発事故も日本社会の変革を促す外圧として、活用すべきだと考える。